「原水爆禁止2015年世界大会 in広島8月4日?~6日?」に参加しました
h4日は開会式で世界各地の代表者が活動報告をさ れ、中でも印象に残ったのは宝田明さんのスピーチで した。舞台に立たれた宝田さんは、一斉に光るフラッ シュの中、皆さんの期待に手をあげ応えられました。 そして、自分が満洲国で生まれ育ったこと、新型爆 弾が日本に落とされたと報道されるとすぐにソ連軍が 襲って来たということなど、生々しい体験談を話され ました。
その後、原爆の象徴である原爆ドームを始めて見る ことが出来ました。爆風で破壊された無残な姿は今で も人々に、大事な何かを訴え続けているようでした。
5日は動く分科会 ( 碑めぐり、遺跡めぐり ) で、ま ず向かったのは爆心地から約460mのところにあり、 平和資料館となっている袋町国民学校です。
こちらの学校は当時三年生以上を学童疎開させてい て、残っていたのは二年生以下の小さな子どもたちで した。朝礼でほとんどの生徒が校庭にでていて、跡形 もなく吹き飛ばされたそうです。忘れ物を取りに地下 教室に戻った数人だけが難を逃れました。そうとは知 らずに親御さんは我が子を探し回ったそうです。
唯一鉄筋コンクリートづくりだった西校舎は、窓ガ ラスが吹き飛び、内部は真っ黒に焼け焦げました。そ れでも、救護所となり、怪我をされた方から瀕死の方 まで次々と運ばれたそうです。
次に向かった原爆の子の像周辺は、千羽鶴を持って いる人や世界各国からのボーイスカウトなど、人の多 さや像の前でポーズを取る様子は、一種お祭りのよう な雰囲気で違和感を覚えました。
6日は原爆ドームの前で黙祷を捧げました。原爆ドー ム周辺は、式典会場の厳かな雰囲気とは違い、反対運 動をする姿が多く見られました。特に目についたのが 高校生による1万人署名でした。もう10万筆集まっ たそうで、7日から長崎に行くとのことでした。戦争の ない社会になって欲しいという思いを強く感じました。
いよいよ8時15分という時にふと川に目をやると ボートが二艘近づいて、花束をそっと川に浮かべてい ました。あの日多くの人々が水を求めてこの川で亡く なられたのです。黙祷の時間になり、サイレンが鳴っ たその瞬間、ざわめきが消え、しんと静まり返って、 時間が止まったかのようでした。黙祷をしながら70 年前のこの瞬間、何の罪もない人々が一瞬で命を奪わ れ、また被ばく者として怪我を負いながら生きて行か なくてはならなくなった理不尽さを思うと、気付いた ら涙が溢れていました。
閉会式で志位委員長も戦争法案に対し熱く語られ、 大会は閉会しました。
3日間の活動で感じたことは、あらためてこのような 悲劇が世界のどこでも行われてはならない、原水爆の ない戦争のない世界にするために、子どもたちに何を 渡していくのかが今の大人の使命だと強く思いました。 上出 由香里(関中協事務局)